中和倉の風景

中和倉の共同墓地 旅、お出かけ、探検

お墓の上からの眺めが良いぞ^^

遠くにスカイツリーが見えます。(写真だと小さくて見えないけど)

上記は新松戸方面の眺め。

小さな墓地がありました。

中和倉 香園寺(こうえんじ)と宮の後(みやのうしろ

)・向山(むけやま)共同墓地

江戸時代元禄元年(1688年)に、真言宗香音寺(こうおんじ)がありました。その寺は香園寺として平成4年に修復され、今も「念仏講」の作法に従い村人により行われています。

江戸時代後期に四国八十八ヶ所の第61番香園寺の写寺となりました。昭和34年頃まで毎月21日の弘法大師の命日に東京から巡礼者が訪れ、弘法大師像を拝んでいました。

「念仏講」の人たちは参道を下って当時美味しいと評判の湧き水をくみ上げてきてお茶を入れ巡礼者に振舞っていたそうです。

明治5年の中和倉は戸数19・人口113人でした。この宮の後と東にある向山の2ヶ所が共同墓地として現在に至っています。(平成28年11月香園寺と宮の後・向山共同墓地世話人会

コメント

タイトルとURLをコピーしました