獅子舞は三びきの獅子による踊りで、五穀豊穣を祈願し村から悪霊を退散させる行事で、祭礼日は9月20、21、22日です。
日枝神社の参道
とつても長いです。公園になっています
参道の右手に石碑が並んでいます
一番左が道祖神。それ以外は石がボロボロで判明不可能。石碑の後ろに説明看板が下がっていたようだが〜下に落ちたまま。そして字も消えて読めない(涙)
日枝神社本殿
松戸の獅子舞(和名ヶ谷)
和名ヶ谷の獅子舞は松戸で最古と言われていますが、いつどこから伝えられたか不明です。天明年間(1781〜)に地震・飢饉があった時、代官であった倉橋伝助がみこし、獅子舞を奉納したとされています。かつては獅子舞についての巻物がありましたが、上本郷や市川の国府台などに伝えに行っている間に紛失してしまったといわれています。
舞は日枝神社で9月20、21、22日に行われます。登場するのは親獅子1人、女獅子1人、中獅子1人、猿1人、笛数人です。
ストーリーはまったく不明で伝えられたものをそのまま伝承するのみですが、内容は、五穀豊穣の祝いと厄病払いのために神の守護を祈るというものです。
昭和44年4月、大橋、上本郷の獅子舞と共に市の無形文化財に指定されました。
境内の石碑
一番新しい石碑は字が読めました。
此の招魂碑は、太平洋戦争終結30年を節目として日枝神社の御氏子として日露戦争また太平洋戦争に出兵し、御国の為に命を捧げ、故郷和名ヶ谷に再び帰ることのなかった二十柱の英霊を祀ると共に、英霊の現世に遺された御功を忘却すること無く、後世に伝えるために建立したものである。
此処に祀る二十柱の英霊は、日枝神社の境内に鎮座された招魂社の祭神として祀られたものである。日枝神社の御氏子は、今を去る昭和27年より御霊を和めそして慰めるため、日枝神社例大祭の斉行に併せて、年毎に御例祭の斎行を重ね今に至っている。
招魂社の御殿の由来は、曾て陸軍工兵学校の工兵神社として、その学舎の敷地内に鎮座されたものであり、戦後縁あって其の御殿を二十柱の御霊を祀る招魂社として日枝神社の境内に遷し祀ったものであるが、四十有余年永きに渡り風雪に晒され、其の御殿の痛み激しく、更に強風による倒木のため御殿を損壊し、修復不能となったもので、総代を始め御氏子、ご遺族関係者の総意によって、御殿を招魂碑とし、碑誌に御名を戦没順に刻み、造り替えたものである。平成9年8月31日
石碑って〜先人の深い思いが刻まれているんですね〜
日枝神社の裏手は〜とんすけが入院中〜毎日眺めていた場所でした〜〜
コメント